「重陽(ちょうよう)の節句」にまつわる「後の雛(のちのひな)」という古くから伝わるお祝いごとをご存じですか?
重陽の節句は別名「菊の節句」とも呼ばれ、平安時代の宮中行事として菊を用いて盛大にお祝いしていました。
新暦になり季節感がずれたことから行われなくなっていましたが、現在「大人の雛祭り」として脚光をあびています。
忙しさに追われて季節感を忘れそうになる今、少し立ち止まって重陽の節句と後の雛をお祝してみてはいかがでしょう。
とはいっても、具体的にどういった準備をしてどういったお祝いするのかご存じでない方も多いですよね。
そこで、今回は私がネットや書籍から集めた後の雛にまつわる情報をお伝えさせていただきます。
そして、子どもの成長とともに飾らなくなってしまう雛人形の良さと日本の古き良き伝統や文化の良さを実感いただければ幸いです。
1.後の雛の意味とは?ひな人形は年に2回飾るもの
後の雛とは、3月3日の桃の節句に飾った雛人形を半年後の9月9日の重陽の節句に飾ることで虫干しを行い、健康や長寿を願って江戸時代に生まれた風習です。
なぜ、虫干しを行うために年に2度飾ろうと昔の人は考えたのでしょうか?それにはきちんとした理由があります。
雛人形は女性の生涯の幸せを願うためのものであるとともに、持ち主の分身として災いを引きとめる役目を持っています。
そのため、虫干しすることで感謝を伝え、長持ちさせることで持ち主の幸せや健康につながると考えたのです。
では、具体的にひな人形を年に2度かざる風習について触れたいと思います。
1度目は「桃の節句」「子どもの雛祭り」として親しまれています。
雛人形は立春を過ぎた2月初旬頃から、若葉が芽吹き虫たちが元気になる「啓蟄の日」である3月6日頃まで飾るのが理想的です。
遅くとも3月中旬頃までには片付けるようにする背景には、災いを遠ざけ、娘が早く結婚できるようにと願う家族の気持ちがあります。
正式には五節句のうちの一つにあたり「上巳(じょうし)の節句」として女の子の健やかな健康を祈りお祝いします。
2度目は「菊の節句」「大人の雛祭り」として親しまれています。
雛人形は9月9日から旧暦の9月9日頃である10月15日まで飾るのが理想的です。
菊を添えることでさらに趣を感じることができます。
先ほど触れたように五節句のうちの一つ「重陽の節句」として自分自身の長寿や厄除け・健康を祈りお祝いします。
菊の花には延寿の力があると考えられており、菊の花をお雛様とともに飾り、お酒に菊の花びらを浮かべた菊酒をいただきます。
あわせて、重陽の節句には栗ごはんを食べる習慣がありますので、栗ごはんを食べたり、栗のお菓子を食べたりするのも良いです。
しかし、現実は時間に追われて子どもの成長とともに季節のお祝いごとをおろそかにしがちです。
ぜひ、これをきっかけに家族とお祝いしたり、親しい友人と女子会をしたりすることで季節の移り変わりや家族とのつながりを身近に感じていただけたらと思います。
旧暦の9月9日は新歴では10月中旬になりますので、1年のなかでも最も過ごしやすい時期のひとつになりますので、お出かけにもっとも適しています。
さらに、ぜひこれを機会に自身のひな人形を飾る日本の古き良き習慣を守ってください。
もう自分のひな人形を持っていないという方も安心してください。
ひな人形を取り扱うお店では、後の雛にまつわる雛人形の発売も行っています。
2.大人のためのひな祭。長寿を願ってひな人形を飾ってみる
大人のための雛祭りである重陽の節句とは、平安時代に中国から伝わった五節句のうちの一つであり、長寿を願ってお祝いします。
五節句とは、1月7日の人日(七草)、3月3日の上巳(桃の節句)、5月5日(端午)、7月7日(七夕)、9月9日(重陽)のことを言います。
その中でも奇数は縁起の良い陽の数だと考える中国の陰陽説では、陽の数がいちばん大きい9月9日の重陽の節句を盛大にお祝いしていました。
日本で平安時代から始まった重陽の節句は古くからどのようにしてお祝いされ、愛されていたのでしょう?具体的に触れたいと思います。
平安時代の宮中行事として宮中では「菊見の宴」を開いて歌を詠んだり、菊の品評会として「菊合わせ」を行ったりしていました。
さらに、日本独自の風習として「被綿(きせわた)」と呼ばれるものがありました。
まず、菊の節句の前夜に菊の花に真綿をかぶせて一晩露にあて、菊の露と香りを移しておきます。
そして菊の節句の当日である翌朝に真綿で体を拭いて邪気を祓い、長寿を願いました。
菊には特別な霊力があり、真綿で移し取ることで人を守ると考えられていたのです。
また、あわせて長寿を願って菊の花を浸した菊酒を飲みました。
さらに時代は流れ、形を変えて重陽の節句は人々に愛され続けます。
江戸時代には長寿と同じように幕府が永遠に続くことを願い、諸侯は羽二重の布、紅白の餅、とれたての鯛などの縁起の良いものを献上する最も大切な節句として城中行事になりました。
こういった朝廷や幕府での行事は次第に一般の人たちにも伝わり、「お九日(くんち)」として親しまれ、秋の収穫祭と一緒に祝うようになりましたが、旧暦の9月は現在の10月にあたり、収穫時期と重なることや季節感がずれてしまうことから次第に行われなくなりました。
しかし、完全になくなったわけではなく、現代もその姿勢は受け継がれ、各地で菊の品評会や鑑賞会が行われていますし、現在も受け継がれている「長崎くんち」「唐津くんち」は新暦の10月に行われています。
さらに、雛人形を飾る日本の古き良き習慣を復活させる意味も込めて、後の雛にあたる重陽の節句が注目されつつあるのです。
重陽の節句と後の雛とはどういったものなのかご理解いただけたでしょうか?
時間に追われてそういった余裕は持てないというご意見もあると思いますが、ぜひ人々の健康と長寿を支えるとされていた菊を愛し、後の雛として雛人形を年に2度飾る行事をお祝いしてください。
そうすることで、普段は見えていなかった季節の美しさや家族のつながりを見つめなおすことができるのではないかと私は考えます。
次に、子どもの健康を願って祝う端午の節句と重陽の節句の違いにも触れたいと思います。
「端午の節句」は先ほど触れたように、平安時代に中国から伝わった五節句のうちの1つであり、形を変えて子どもの幸せを願う日に変わりました。
端午の節句をイメージする菖蒲と蓬(よもぎ)には邪気を祓う力があるとされ、菖蒲酒を飲んだり、菖蒲湯に入ったりすることで邪気を祓っていました。
重陽の節句では菊をルーツとするお祝いごとで長寿を願うのに対し、端午の節句では菖蒲と蓬をルーツとするお祝いごとで邪気を祓っていたのですね。
当初は重陽の節句と同じように平安時代は宮中行事(端午の節会)として親しまれ、菖蒲と蓬を使った薬玉を用いてお祝いされました。
次第に一般へも伝わるようになり、当初は女性のためのお祭りとしてお祝いされていました。
端午の節句といえば男の子のお祝をイメージするので、驚きますよね?
もともと端午の節句である5月は神聖な田植えの時期であるため、「五月忌み」として田植えの中心となる若い女性たちが魔除けの意味もある菖蒲や蓬を使って災いを祓うようにしていました。
この菖蒲や蓬を使う五月忌みと中国から伝わった端午の節句が重なり、古来は重陽の節句や桃の節句と同じように女性が主役のお祝いごとだったのです。
時代は流れ、鎌倉から江戸時代は武家社会となり、江戸幕府によって五節句の一つに決められることで男の子が強く成長することを願う行事としてお祝されるように変化していきました。
現在は昭和23年に「国民の祝日に関する法律」により、性別関係なく子どもが健やかに成長することを願う「こどもの日」となりました。
しかし、男の子のお祝いごとであるルーツは現在もしっかりと残っており、元気な男の子に育つことを願って「五月人形」を飾ったり、出世することを願って「鯉のぼり」を飾ったりします。
五節句のうちの重陽の節句と端午の節句の歴史や共通点に触れさせていただきました。
現在どのようなお祝いごとをすれば良いのか理解すれば良いだけなのに、なぜ歴史にまで触れる意味があるのか?と疑問に思う方もいるかもしれません。
しかし、それぞれの歴史に触れることでお祝いごとの大切さを再確認することができますし、端午の節句とはもともとは女性が中心のお祝いごとであった点について触れることもできます。
そうすることで日本古来の行事ひとつひとつを大切にしようとする気持ちが強くなるのではないかと私は考えます。
3.俳句の季語と後の雛、子どもに伝えたい日本の文化
後の雛は古来より俳句の世界でも親しまれ、季語として使われている例が多くあります。
「後の雛祭り」これは晩秋の季語になります。
「後の雛」「秋の雛」「菊雛」「菊の絵櫃(えびつ)」これらも季語になります。
古来より現代に伝わる著名人の俳句に触れることで、後の雛が多くの人に親しまれていたことをご確認いただければ幸いです。
では、さっそく後の雛を季語とした俳句をご紹介します。
豊年の 雨を御覧になろう 雛達
小林一茶の「七番目記」に詠われています。
江戸時代から明治初期までは重陽の節句の時期、つまり豊年を迎える時期である旧暦の9月(現在の10月)にもお雛様を飾っていたことがこの俳句からも見えてきます。
後の雛 うしろ姿こそ 見られている
泉鏡花の「鏡花全集」に詠われています。
重陽の節句にも飾られる雛人形のうしろ姿の美しさを詠うことで、雛人形の奥ゆかしさに触れたのではないでしょうか。
後の雛 そうではあるが(だが、しかし) 十二一重だなあ
後の雛の十二一重の美しさをストレートに表現しています。
あえて飾らずに表現することで、多くの人の心をつかんだのではないでしょうか。
日本の行事は古来より繰り返されるのが特徴となっています。
そのため後にくる行事には「後の」をつけて表現します。
秋のお彼岸は「後の彼岸」、十五夜のあとの十三夜は「後の月見」、そして重陽の節句にある「後の雛」などがそれにあたります。
「後の」とつけることでひとつひとつの行事に奥ゆかしさを感じることができ、さらにそれを俳句で詠むことで多くの人たちから愛されていた行事だったことを感じることができます。
なお、今回引用させていただいた俳句の解釈は古語辞典をもとに独自に行いましたので、若干の解釈の違いはご了承ください。
4.富田林と後の雛
重陽の節句にまつわる後の雛は江戸時代に関西を中心に行われたと伝わっており、現在も江戸時代からの商家や民家が残っている富田林寺内町では毎年10月中旬に「後の雛まつり」を開催しています。
富田林寺内町は大阪府下で唯一の国の重要伝統的建造物群保存地区にあたり、この行事は2007年から秋の風物詩として企画・開催されています。
主な催しとしては、下記のようなものが挙げられます。
年度によって催し内容は異なりますので、富田林観光協会のホームページをご覧くださいますようお願いします。
- 寺内町界隈の旧田中家住宅、旧杉山家住宅、じないまち交流館、じないまち展望広場、本町通り軒下マーケットなどで菊花とお雛様の展示を行います。
- 上記の菊花とお雛様の展示を行う場所でお茶会などが行われます。
- 調べたところ毎年場所は変わり、予約不要で当日抹茶・お菓子代として500円前後の負担をすることで先着100名ほどの利用ができます。
- クリエーターこだわりの作品の展示販売と観葉植物販売と占いのイベントを行います。
後の雛の良さをもっと知りたいとお考えの方や、雛人形を年に二度飾る楽しみを堪能したいものの雛人形を買うことに迷いがある方は是非足を運んでください。
富田林市寺内町は大阪市内よりさらに電車で30分から1時間ほど時間がかかるためおっくうに感じるかもしれませんが、時間に追われる日々を忘れることができるその空間は時間をかけてでも足を運ぶ価値があります。
なぜ、富田林では後の雛祭りを町を挙げて行っているのか?それにはきちんとした理由があります。
富田林市寺内町の玄関口である近鉄富田林駅から寺内町までのルートは、昔ながらの商店街が数か所残っています。
しかし、現在は大型商業施設の進出や少子高齢化などの影響により、空き地や空き家が目立つようになったり、シャッター商店街となってしまったりしています。
こういった現状を改善するために、行政、商事業者、地元の住民などによる「富田林駅南地区まちづくり協議会」が2008年1月に発足し、まちづくり活動を行っています。
その活動内容としてはイベント開催、空き家となっている古民家の再生、さまざまな情報発信などが挙げられます。
その一環として、2007年の秋から富田林市寺内町では後の雛まつりが開催されるようになりました。
あわせて、具体的な活動内容にも触れておきます。
富田林駅南口駅前広場が整備され、さらに空き家となっている古民家の所有者とお店を開業したいテナント希望者を仲介することにより、伝統工芸のお店やおしゃれなレストランやカフェが開業しました。
また、毎月第2土曜日に行われる「じないまち散歩」や季節ごとの行事が開催されています。
「後の雛まつり」の日でなくても行ってみたいと思った方も多いのではありませんか?
ぜひ、休日の女子会ランチや恋人とのデートで足を運んでみてください。
次は過去の後の雛まつりの様子を画像を通じてご紹介します。
過去のお祭りの様子に触れることでリアリティを感じるとともに、あなたの行きたいと思う気持ちをさらに強いものにできれば幸いです。
・古民家の街並みに飾られるかわいらしい後の雛
古民家の並ぶ界隈には個性豊かな後の雛がたくさん飾られます。
趣のある背景になじむことで、後の雛の良さがさらに引き立ちます。
・地元の店舗も力を入れて参加します
地元の古民家を改装した飲食店、伝統工芸品を扱うお店、書店でも「後の雛まつり」に力を入れて参加します。
足を運ばれた際は、それぞれの店舗の後の雛もぜひ写真に記録しましょう。
・美味しい食べ物も欲しいところ
「花より団子」ではありませんが、後の雛や古民家の美しさに触れるために足を運ぶと誰しもお腹が空きます。
イタリアンレストラン、カフェ、焼き菓子と喫茶のお店など個性豊かな飲食店がありますので、ぜひ気になるお店は事前にチェックしておきましょう。
観光ガイドに掲載されている写真も素敵ですが、じっさいに後の雛まつりに足を運んだことがある方の写真はさらにまつりの良さを感じさせてくれます。
開催時期である10月は過ごしやすい時期でもありますので、事前に観光協会のHPをご確認のうえ、ぜひ足を運んでください。
5.まとめ
今回は後の雛とは年に2回ひな人形を飾ることをいい、その背景には五節句の一つである「重陽の節句」があることをまずご紹介しました。
著名な俳人もその後の雛の美しさを詠い、その感動は現在にも伝えられています。
また、重陽の節句は「菊の節句」ともされ、多くの人が長寿を願ってお祝いしたのですね。
重陽の節句、旧暦の9月9日はちょうど豊年祭の時期にあたり、時代の流れとともにお祝することがなくなってきましたが、大人の雛祭りとして後の雛は見直されつつあります。
雛人形を扱うメーカーでは後の雛のための雛人形が発売されたり、地域ぐるみで開催している後の雛のおまつりも開催されたりしています。
ぜひ、忙しいあなたの1日を後の雛のための1日に置き換え、古き良き日本の慣習に触れるとともに、家族や周囲とのつながりを確認してもらえる1日になれば幸いです。
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